ウガンダの首都カンパラに、広い王墓があります。
門をくぐると大きな中庭。その向こうに、いくつもの建物が並んでいます。
さらに奥に見えるのが、大きな茅葺き屋根。
カスビ王墓の敷地は26.8ヘクタール。サッカーコートなら、およそ38面分です。
王墓のほかにも、門や中庭、儀礼に使う建物、農地まであります。
「王のお墓」と聞いて思い浮かべるより、ずっと大きい。
昔の王宮を中心にした場所が、今も続いているようです。

王が暮らした宮殿が、王墓になった
その中心にある大きな茅葺き建築が、ムジブ・アザーラ・ムパンガ(Muzibu Azaala Mpanga)。
ここからはムジブと呼びます。
直径は約31メートル。内部の高さは約7.5メートル。木や葦、樹皮布、草などを使った大きな円形の建物です。
名前も少し気になります。カスビ王墓の公式サイトでは、「強い者が、力ある者を生む」といった意味で説明されています。王から次の王へ。そんな意味合いを持つ名前です。
ムジブが建てられたのは1882年。
最初は、ブガンダ王ムテサ1世の宮殿でした。
その2年後、ムテサ1世が亡くなると、王が暮らしていた宮殿が王墓になります。
現在ここに葬られている王は4人。もともとブガンダでは王ごとに別の墓所を設けていましたが、後の王たちもカスビに葬られるようになりました。
王が暮らした宮殿が、歴代王の眠る場所になっていったのです。

100年以上、直しながら
1882年築。
そう聞いて、いちばん気になったのは茅葺き屋根でした。
これ、100年以上ももつの?
茅は何度も葺き替えられ、木も修理されてきました。ムジブそのものも、長い時間のなかで手を入れながら使われています。
140年前の材料をそのまま守ってきたというより、建物を140年以上つないできた。
茅は傷み、木も傷む。だから手を入れる。必要なら材料も替える。
ムジブは、そうやって続いてきました。

屋根の内側には、植物でつくられた輪が何重にも重なっています。
数は52。ブガンダの52の氏族と結びついた数だとされています。
屋根のつくりの中に、王国の人々のつながりまで重ねられている。
カスビ王墓では今も儀礼が行われています。人が訪れ、建物を守り、傷んだところに手を入れる。
建物と一緒に、使い方や直し方も続いてきました。


2010年3月16日
ムジブが燃えました。
大きな茅葺き屋根は火に包まれ、建物の大部分が失われます。
100年以上、直しながらつないできた建物でした。
火災後の写真を見ると、ここで歴史が途切れたように見えます。
それでも、つくり方は残っていました。
【画像07|2010年火災・被災後のムジブ】未取得。推奨ファイル名:
もう一度つくる
再建には写真や図面に加えて、昔から建物をつくり、直してきた人たちの技術が使われました。
材料の扱い方、茅葺き、建物に結びついた知識。経験のある人から若い世代へ、再建の現場で技術が渡されていきます。
使われたのは、火災前から続いていた技術です。
カスビ王墓では、もともと傷んだ建物を直しながら使ってきました。その積み重ねが、建物全体をつくり直す場面にもつながりました。
【画像08|ムジブの再建作業・技能継承】未取得。推奨ファイル名:
2023年、ムジブの再建が完了しました。

最初にこの建物を見たときは、「木と草でできているのに、100年以上も残るんだ」と思いました。
茅も木も、長い間に何度も替わっています。
茅を替える。木を直す。必要なところに手を入れる。
そうやって建物をつないできた。そして大きく失われたあとも、もう一度つくることができました。
直せることも、建物の寿命の一部なのかもしれません。
今のカスビには、また大きな茅葺き屋根が立っています。
140年という時間の中で、材料は替わり、建物は直されてきました。
そう思ってもう一度ムジブを見ると、最初とは少し違って見えます。

