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木を編んで、土を塗る。ハイチのクリサージュ

1928年から1929年ごろのハイチ・マルムラードの村と山間部の住宅
ハイチ・マルムラードの村、1928〜1929年。山間部には、身近な材料でつくられた小さな家が並んでいた。 Photo: Smithsonian Institution / Wikimedia Commons / No known copyright restrictions

ハイチには、木の柱の間に細い材を編み、そこへ土を塗って壁をつくる方法があります。クリサージュ(clissage)。ハイチ・クレオール語では klisay。

どこかで見たようなつくり方です。日本の昔の土壁も、柱の間に竹や木で小舞を組み、そこへ土を塗ります。材料も編み方も同じではありませんが、木の骨組みの間に下地をつくり、土で壁にする考え方はよく似ています。

農村では、普通の壁だった

クリサージュは珍しい建築物だけに使われた技術ではありません。1971年のハイチ国勢調査では、住宅の壁材として「クリサージュ+土」「クリサージュのみ」が、それぞれ独立した項目になっていました。調査員向けの説明書にも、農村部で広く見られる壁として登場します。

同じ木造骨組でも、板を張る家、小さな石を詰める家、クリサージュを使う家がありました。使える材料に合わせて壁をつくっていたようです。

ハイチの農村には、複数の家が中庭を囲む lakou(ラクー)という暮らしがあります。家の前には屋根のかかったギャラリーがあり、中庭では炊事や作業をする。古い住宅では、室内は主に寝る場所として使われた例もあります。小さな家一棟だけで暮らしが完結していたわけではありません。

2008年のハイチ・ラゴナーヴ島で、木や植物材を使った住宅が並ぶ集落
ハイチ・ラゴナーヴ島の住宅、2008年。木や植物材を使った壁や屋根が見える。写真だけから壁の構法をクリサージュとは断定せず、地域の住宅と材料使いを見る資料として掲載。 Photo: Cindy / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

木の家から、コンクリートの家へ

20世紀後半になると、こうした住宅は少しずつ減っていきます。屋根は草やヤシの葉からトタンへ。壁にはコンクリートブロックが増えました。2015年の地域計画資料には、伝統的な住宅が「貧しさ」と結びついて見られていたことも記されています。

新しい家はコンクリート。木の家は昔の家。森林減少による木材不足も重なり、農村の木造住宅は数を減らしていきました。その一方で、ハイチを描いた絵には小さな木の家が何度も登場します。暮らしたい家は変わっていくのに、ハイチの風景を描くと木の家が残る。

地震のあと、もう一度調べられた

2010年のハイチ地震後に上空から撮影されたポルトープランスの住宅地
2010年の地震後のポルトープランス。市街地では多くの建物が大きな被害を受けた。 Photo: Spike Call / U.S. Navy / Wikimedia Commons / Public Domain

2010年1月、ハイチを大地震が襲いました。多くの建物が倒壊するなかで、状態のよいクリサージュなどの伝統住宅が比較的よく残った例が確認されます。地震後には、住民がクリサージュを使って応急住居をつくったり、壊れた家を修理した記録も残っています。

ただ、クリサージュなら地震に強い、という話でもありません。2021年の地震では、伝統的な木造住宅にも大きな被害が出ました。古くなった木材、シロアリ、補修不足、使える木材や職人の減少。同じつくり方でも、建物の状態によって結果は変わります。

2016年のハリケーン・マシューで大きな被害を受けたハイチ・モロンの住宅
2016年のハリケーン・マシューで大きな被害を受けたハイチ・モロンの住宅。2021年の地震を迎える前から、南西部には風雨による被害や劣化を抱えた住宅があった。 Photo: Coralie Giese / CDC Global Health / Wikimedia Commons / CC BY 2.0

復興では、昔の家をそのまま戻すのではなく、木造骨組に筋交いを加え、接合部や基礎との固定を改良する方法が使われました。そして2025年版のハイチ国家建築基準には、充填材や外装材を伴う木造骨組住宅の規定が加わっています。

1971年には、国勢調査で壁材として数えられていたクリサージュ。一度はコンクリートの家に押されながら、そのつくり方は地震後にもう一度調べられ、新しい木造住宅へつながっています。

主な資料