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「日本最古のログハウスは正倉院」。ログハウスについて調べていると、しばしば目にする言葉です。
ここで指されているのは、奈良の正倉院に残る宝物庫「正倉」です。用途は宝物の収蔵。ログハウスの話に登場する理由は、壁のつくり方にあります。
正倉は北倉・中倉・南倉の三つからなり、北倉と南倉が校倉造、中央の中倉は板倉です。
校倉とは、校木を井籠組にした倉
校倉の壁に使う木材を「校木(あぜき)」といいます。正倉院の校木は、角を落とした三角形に近い断面へ加工した材です。これを一段ずつ水平に積み、校木そのものを壁にしています。
建物の隅では、二方向から来た校木を直交させながら組み合わせます。木材を四方にめぐらせ、井桁のように積み上げていく組み方が「井籠組(せいろうぐみ)」。角の部分は「隅組」「隅組手」などと呼ばれます。

Photo: Roman SUZUKI / Wikimedia Commons / CC BY 3.0(明るさ補正のみ:LL)
ログハウスも、丸太や角材を水平に積み上げて壁をつくります。建物の角では二方向から来たログ材を交差させ、そのために材を切り欠きます。この交差部の加工が「ノッチ」です。サドルノッチやウェッジノッチなど、材や工法に応じていくつもの形があります。
正倉院は校木を井籠組で積み、隅組で角をつくる。ログハウスはログ材を積み、ノッチで角をつくる。材の形や角の納まりはそれぞれ異なります。木を水平に積み、その材自体で壁をつくる。四隅では直交する材を組む。この基本はよく似ています。
正倉院には、もう一つ目立つ特徴があります。床を地面から高く上げた「高床」です。高床は床の位置や建物形式、校倉は壁のつくり方を示す言葉です。

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静岡の登呂遺跡には、発掘成果をもとに復元された高床倉庫があります。高床の倉庫は弥生時代の遺構からも知られています。正倉院とログハウスをつないでいるのは、高床の姿より、校木を積んだ壁と隅組の方です。
正倉院より古い校倉がある
正倉院正倉が建てられたのは奈良時代中頃、8世紀半ば。2026年でおよそ1270年前になります。
これほど古い建物ですが、現存する校倉にはさらに古いものがあります。奈良の唐招提寺経蔵です。

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唐招提寺はこの建物を「日本最古の校倉」と紹介しています。寺の創建以前からあった倉を、後に改造したものと考えられています。
「日本最古のログハウス」を、厳密な年代順位として使うのは難しい言葉です。この記事では、正倉院とログハウスに共通するつくり方を表す呼び名として扱います。
宝物を守ったのは、「呼吸する壁」だったのか
正倉は、大切な宝物を納めるための倉でした。聖武天皇ゆかりの品々をはじめ、多くの宝物を長い年月守ってきました。保存環境については、宮内庁正倉院事務所などで調査が重ねられてきました。
そこでよく語られるのが「校倉は呼吸する」という話です。湿気が多いと校木が膨らんで隙間を閉じ、乾燥すると縮んで隙間が開く。壁が呼吸するように湿度を調整したから宝物が残った、という説明です。
宮内庁が正倉の内外と唐櫃の中で温度・湿度を測った調査では、正倉内部の変化は外気より小さく、宝物を納めた木製の唐櫃の中ではさらに小さくなっています。
実測から見えてくるのは、建物全体の木材と唐櫃が重なった保存環境です。校木の隙間の動きに加えて、木の建物と木の箱が急な温湿度変化を和らげていました。
約1270年、どう残ってきたのか
正倉院正倉には現在も創建時の木材が残っています。年輪年代の調査では、後世の修理で加わった材も確認されています。奈良時代の材と、修理のたびに加わった材が一つの建物をつくっています。
創建時の材を残しながら、傷んだ部分には後世の材を入れる。正倉は、そうした修理を重ねて現在まで残ってきました。
現在、正倉院宝物は正倉の中には置かれていません。宝物は現代の宝庫で管理され、奈良時代の正倉は建物そのものが保存されています。守り方も、時代に合わせて変わってきました。
木の調湿性と、木造建築を長く使うための修理・維持については、ログハウス図書館の研究室でも改めて取り上げます。
横に積まれた校木と、隅で組み合わさる木材を見ると、正倉院がログハウスと一緒に語られてきた理由はよく分かります。
次に正倉院を見るなら、屋根や高床だけでなく、壁の角も見てみたい。
