
アイスランド北部にあるグロインバイル(Glaumbær)。これは村の名前ではなく、農場の名前。アイスランド語の「bær」には「農場」という意味があるそうです。
白い木の壁と小さな窓。その後ろには、草に覆われた屋根がいくつも並んでいる。
「芝土の家」というアイスランドの伝統的な住まいのひとつ。この土の壁はどうやってつくっているんでしょうか。
草の根まで建築材料

使われているのは「ターフ」と呼ばれる芝土。草の根が絡んだ地表の土を、そのまま切り出して建築材料にする。
2008年の建築環境研究では、グロインバイルの壁は厚いところで約3.5mもあるという。写真で見ても分厚いけれど、3.5mと聞くと驚きますね。
また壁をよく見ると、斜めの線が連続した模様になっている。斜めに切った芝土を互い違いに並べ、その間に細長い芝土を挟んで壁をつくる。
写真で見るとわかりやすいけれど、見た目は土というより、ブロックを組み合わせたような感じですね。
壁の下には湿気対策として石も使われている。ただ、グロインバイルの周辺は建築に適した石が少なかったそうだ。
芝土なら足元の地面から切り出せる。
丸太を積むログハウスとは材料が違うけれど、身近な材料を積み重ねて壁をつくるところは少し似ていますね。
厚い壁と、寒い冬

アイスランドの北部は冬が寒い。こんなに厚い芝土の壁と、草に覆われた屋根があれば、断熱性能は意外によさそうです。
2008年にグロインバイルを調べた建築環境研究でも、厚い芝土の壁が熱を伝えにくくし、室内の温度を安定させる効果が報告されている。
ただし、断熱がいいからといって、冬の室内が暖かかったとは限らない。研究では、当時の共同生活の部屋は、現在の快適性の基準で見ると寒かったと推定されている。
暖房に使える燃料も貴重だった時代。壁で熱が逃げにくくなっても、そもそも暖めるのが大変だったんですね。
木が貴重だった島

昔のアイスランドでは建築に使える木材が十分に手に入らず、海岸に流れ着く流木や、外国から輸入した木材が使われていた。
でも家の中は思っていたより木が多い。
屋根を支える柱や梁だけでなく、壁や床にも板が張られている。
木材が貴重だったのなら、室内をこんなに木で仕上げるのは、けっこう贅沢なことだったのでは?
調べてみると、木をどれだけ使えるかは家の豊かさにも関係していたそうだ。裕福な家では室内に板を張り、そうでない家では芝土の壁がそのまま見えることもあったという。
つまり、当時としては結構な高級住宅だったということ。実際グロインバイルも比較的豊かな農場で、聖職者が暮らした歴史がある。
外から見ると草と土の家。中に入ると木の部屋。
ログハウスを調べていて見つけた建物だけれど、木材が少ない土地ならではの使い方が見えてきた。
13棟もあるのに、暮らしの中心は一部屋?

グロインバイルは、ひと続きの家に見えて、実際には13棟の建物が集まっている。
台所、食料庫、物置、客間、鍛冶仕事をする場所などがあり、それぞれを屋内の通路でつないでいる。
建物全体の広さは約730㎡。なかなか大きな農場です。
それだけ部屋があるのなら、寝室や食堂も分かれていたのかと思った。
ところが、暮らしの中心となっていたのは「バズストーヴァ(baðstofa)」と呼ばれる共同生活の部屋だった。

ここで裁縫などの手仕事をして、食事をして、夜には眠っていたという。料理は別の台所でつくられ、食事の時間になると運ばれてくる。人々は寝台に腰掛けて食べていたそうだ。
寝台がベッドであり、椅子でもあったわけですね。
建築研究の資料には、約50㎡のこの部屋に11台の寝台があったと書かれている。昔は一つの寝台で2人が眠ることもあったという。
冬は人が集まって過ごすことで、その体温も暖かさの助けになっていたそうだ。先ほどの研究でも、住む人の密度が室内の暖かさに関係していたと指摘されている。
そもそも、この農場には何人くらい住んでいたんでしょうか。
現地博物館の歴史資料では、1801年が12人、1816年は17人、1920年は14人。1816年の17人には、牧師夫妻と子ども12人のほか、働き手なども含まれていた。
13棟あるから13家族、というわけではない。家族だけでなく、農場で働く人たちも一緒に暮らしていた。
ただし、住み方はずっと同じだったわけではない。1942年には3家族が入居し、それぞれ別の部屋を生活の場にしていた記録もある。
13棟もあるのに暮らしの中心は一部屋。そういう時代もあれば、家族ごとに部屋を使う時代もあったんですね。
1947年、農場を離れた家族
グロインバイルには、およそ1000年前から人が暮らしてきたとされる。もちろん、今ある建物が1000年前に建てられたものではない。
古い部分は18世紀半ば、新しい建物は1879年につくられた。何世代にもわたって、部屋を建て足したり、傷んだ芝土を取り替えたりしながら使われてきた。
芝土は身近な材料でも、屋根や壁の手入れは欠かせない。
この古い農場で最後の家族が暮らしたのは1947年まで。なぜこの年に転居したのか、気になって調べてみた。
1938年、グロインバイルの保存を支援するため、イギリス人のマーク・ワトソンが修理費として200ポンドを寄付していた。
修復が進んだのち、1947年に建物は保護対象となった。同じ年に、それまで暮らしていた家族が転居している。ただ、その家族が転居を決めた直接の理由までは確認できなかった。
当時のアイスランドでは、芝土の家から木造やコンクリート造の家に移る人が増えていた時代でもある。
さらに詳しい記録では、家族が転居したあとも一部の部屋に住む人がいて、1951年まで暮らした人もいたという。1947年に建物全体が無人になったわけではないようだ。
博物館の展示が始まったのは1952年。写真を見るとずいぶん昔の暮らしのようだけれど、第二次世界大戦が終わったあとまで、この草の家で生活していた人がいたんですね。
主な資料
- Skagafjörður Heritage Museum|Glaumbær
- アイスランド国立博物館|Glaumbær
- Skagafjörður Heritage Museum|19世紀の芝土の家の暮らし
- UNESCO|The Turf House Tradition
- Skagafjörður Heritage Museum|歴史資料(住人の人数、1942年の家族、1947年以降)
- 建築環境研究|The historical turf farms of Iceland (2008)
- BME habitatio|Icelandic turf house(11台の寝台)
- Skagafjörður Heritage Museum|Mark Watsonと保存修復の記録
