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キジ・ポゴスト|22のドームを支える丸太組

キジ島に建つキジ・ポゴスト顕栄聖堂
1714年頃の顕栄聖堂。高さ約37m、22のドームを持つ。
Александровы АГ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

世界のログ建築を調べていて、ロシアのキジ・ポゴストに出会った。

1714年に建てられた顕栄聖堂(けんえいせいどう)は、高さ約37m。屋根には大小22のドームが載っている。現在は世界遺産。

写真だけを見ると、ログ建築にはあまり見えない。屋根とドームの存在感が強すぎて、その下の壁がどうなっているのか目に入ってこないからだ。

キジ・ポゴスト顕栄聖堂の水平に積まれた丸太壁
屋根の下には八角形のログの層が重なる。あの22のドームを支えているのも、木の躯体です。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kishi_church_4.jpg

近づいてみると、壁には丸太が水平に積まれている。角では丸太同士が組まれ、ログハウスで見慣れたノッチも見える。

もちろん家ではないのでログハウスではない。けれど構法は丸太組。かなり巨大なログの教会だった。

小さな島に建った37mの教会

キジ島があるのは、ロシア北西部のカレリア共和国。フィンランドにも近い地域だ。

オネガ湖に浮かぶ島で、長さは約5.5km。いちばん広いところでも約800mしかない。教会だけが残された無人島ではなく、今も人が暮らしている。

対岸の本土までは、近いところで約1km。意外と近い。

この場所には16世紀にはすでに教会があったが、1693年、落雷による火災で以前の教会群が焼失した。その跡に建てられたのが、現在の顕栄聖堂である。

そして高さ37mの教会をつくる大量の丸太も、島の中だけで用意したものではなかった。材は対岸のザオネジエ半島から運ばれたとされている。

使われた松には、伐採時に樹齢150〜300年ほどのものもあった。年輪の調査から、遅くとも1712〜1713年の冬には伐採されていたことも分かっている。

対岸で木を選び、伐り、湖を越えて島へ運ぶ。その丸太を組み上げて、1714年に教会が完成した。

どうやって37mまで組んだのか

キジ・ポゴスト顕栄聖堂の構成を簡略化したイメージスケッチ

Concept sketch — not an actual view.

見た目は複雑だが、骨格を追うと少し分かりやすい。中心にあるのは八角形の丸太組。そこから四方へ張り出し、その上にはさらに小さな八角形が重なっていく。

その周囲に曲面を持つ屋根が付き、大小のドームが載る。高さ37mの壁を、そのまま真っすぐ丸太で積み上げたわけではない。丸太組を段階的に重ね、上へ行くほど建物を絞っている。

遠くから見ると22のドームを持つ特殊な教会だが、下から追っていくと始まりは水平に積んだ丸太だった。

設計者や棟梁の名前は分かっていない。一方で、大工ネストルがこの教会を建て、完成後に斧をオネガ湖へ投げたという伝説が残っている。史実ではない。

銀色のドームも木だった

キジ・ポゴスト顕栄聖堂の22のドーム
銀色に見えるドームも、近づくと一枚ずつ重ねた木片。魚の鱗のように表面を包んでいる。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kishi_church_detail_roof_01.jpg

丸太壁だけではない。遠くから銀色に見えるドームも木でできている。表面を覆っているのは、ヤマナラシの小さな木片だ。

キジ・ポゴストの木片で覆われたドーム屋根の細部
ドームは金属の板ではない。薄い木片を何層にも重ねて、この丸い形をつくっている。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kishi_church_detail_roof_02.jpg

一枚ずつ削った木片を重ねながら、あの丸い曲面をつくっている。新しい材は明るい木の色。それが雨や日差しを受けて、少しずつ灰色から銀色へ変わっていく。

写真で見るあの色は、金属でも塗装でもない。木が古くなった色だ。色褪せたというより、きれいなシルバーになっている。樹種の違いなのか、気候の違いなのか。日本の外部木部ではなかなかこんな見え方をしないので、ここはもう少し調べてみたい。

近くで見れば、この大きなドームも小さな木片の集まりだ。近年の修復でも、一枚ずつつくり直されている。

「釘を使わない」は本当なのか

キジ・ポゴストの丸太壁と接合部
残せる丸太を残し、傷んだ部分を直し、必要な部材だけを交換していく。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kizhi_Pogost_P7110210_2200.jpg

キジ・ポゴストについて調べると、「釘を一本も使わずに建てた」という話が出てくる。

創建時の丸太組は、木を刻んで組み合わせていた。木製の留め具も使われている。そして当時、鉄はかなり高価だったらしい。

キジ博物館の資料には、18世紀初めのこの地域では、釘1kgが牛1頭ほどの価値だったという話まで出てくる。牛一頭。それなら、むやみに釘を打つわけにもいかない。

「釘を使わない」という話は職人技だけではなく、当時の材料事情も一緒に見ると印象が変わる。もちろん、現在まで金属なしで立っているわけではない。長い修理の歴史の中で、鉄釘や金属の補強材も使われている。

夏の教会と冬の教会

顕栄聖堂、生神女庇護聖堂、鐘楼からなるキジ・ポゴスト
1862年に建てられ、1874年に大きく改修された木造鐘楼。
Александровы АГ / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ところで、キジ・ポゴストはこの教会一棟の名前ではない。顕栄聖堂の隣に建っているのが、1764年の生神女庇護聖堂(しょうしんじょひごせいどう)。さらに木造の鐘楼があり、この三つでキジ・ポゴストをつくっている。

キジ・ポゴストの生神女庇護聖堂
1764年の生神女庇護聖堂は冬季にも使われる「冬の教会」。
LBM1948 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

隣の教会にも9つのドームがある。でも、こちらは顕栄聖堂の小型版ではない。二つは使う季節が違った。

顕栄聖堂には暖房がなく、夏に使う。生神女庇護聖堂には暖房があり、冬はこちらを使う。同じ敷地に夏の教会と冬の教会。写真だけでは分からなかったが、二棟並んでいるのには理由があった。

一度、白い教会になっている

キジ・ポゴスト顕栄聖堂の修復に関する写真
300年たてば、もちろん直す。修復中もログ壁を層ごとに扱った。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kizhi_Pogost_P7114012_2200.jpg

もう一つ、今の写真からは想像しにくい時代がある。19世紀の顕栄聖堂は、丸太壁がむき出しではなかった。外側には板が張られ、白く塗られていた。ドームにも金属板がかぶせられている。

現在に近い木の姿へ戻されたのは、20世紀半ばの修復だった。さらに近年には、もっと大掛かりな修復も行われている。

37mの建物を持ち上げて直す

傷んだログを交換するために、建物を全部解体して建て直したわけではない。建物を部分ごとに持ち上げ、傷んだ丸太を取り外す。修理できるものは直し、必要な部分だけ新しい材に替え、また戻していく。

300年以上前の建物というと、当時の木がそのまま残っているように思ってしまう。実際はそう単純ではない。古い材と修理した材、新しく加えた材が混ざりながら、1714年の建物が現在まで続いている。

写真をもっと見る

海外ギャラリーでは、キジ・ポゴストの全景だけでなく、丸太壁、22のドーム、生神女庇護聖堂、鐘楼なども写真で見られます。

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